名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月30日

名右衛門
更新情報
歴史志伝
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
歴史志伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
静岡県 > 井伊谷城跡

城と館
御城印

井伊氏の城
 井伊谷城はこの地の領主である井伊氏が築いた山城です。標高約115mの山頂に、単郭式の曲輪が築かれています。 山頂の北半分は自然の地形を残し、南半分は平らに均されています。曲輪の周りには土塁がめぐり、南側と西側に出入口をもちます。 南側の出入口は大手に、西側の出入口は搦め手に相当します。大手口の両側には土塁が高く築かれており、防御を固めています。 井伊氏の本拠地は井伊谷城とその麓にあった城館に加え、最終的な詰め城である三岳城(井伊谷城の北東2kmに所在)で構成されていました。
 江戸時代の記録によると、井伊谷城は「御所の丸」と呼ばれていました。南北朝の動乱期(1336~1392)に、南朝方の拠点として 宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を擁した場所と関連づけられていたことがうかがえます。  

『井伊谷城跡』説明より

井伊谷城跡

 井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田など)を治めました。 南北朝の動乱期(1336~1392)には、この地に宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を迎え、南朝方の活動拠点としました。
 戦国時代には当地の支配権をめぐって、今川、武田、徳川の各勢力が争い、当主である井伊氏は大きく翻弄されました。
 とくに、永禄5年(1562)に井伊直親が謀殺された後は適齢の男子がなく、井伊氏は存亡の危機を迎えました。この時に、城主として ふるまったのが、女性領主、井伊直虎です。天正3年(1576)、直虎は直親の子である虎松(のちの井伊直政)を徳川家康に引き合わせ、 井伊氏再興の道を開きました。

『井伊谷城跡』説明より

■井伊谷城跡
井伊谷城跡

本丸

本丸より望む

虎口(大手口)

井伊谷城跡入口

駐車場より

本丸説明板

本丸遺構説明板

入口説明板

住所 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字城山(井伊谷城跡城山公園)
時間 -
休日 -
拝観料 -
駐車場 駐車場(引佐協働センター 乗用車60台、無料)
2017年4月現在


Copyright (C) 2008-2021 naemon All Rights Reserved.