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2024年11月21日
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駿府城
城と館
御城印
駿河の拠点
徳川家康の居城
駿府城
今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。 9代義元の今川し全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で 織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し、永禄11年(1568)武田氏より駿府を追われました。
徳川家康は、駿府の武田氏を天正10年(1582)に追放した後、同13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。 しかし徳川家康は、天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏が駿府城の城主になりました。その後、徳川家康は、 関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603)に征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開きます。慶長10年(1605)に将軍職を息子秀忠に譲り、 同12年(1607)には大御所として三たび駿府に入りました。
『駿府城についてより抜粋』
■駿府城
巽櫓と東御門
東御門(外側)
東御門(内側)
坤櫓(内側)
坤櫓(外側)
二の丸御門跡(外側)
二の丸御門跡(内側)
本丸跡と徳川家康像
駿府城碑
住所
静岡県静岡市葵区駿府城公園1
時間
一部
休日
-
拝観料
一部
駐車場
無(文化会館地下駐車場)
2014年8月現在
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