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2024年10月9日
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頭陀寺城(松下屋敷)
城と館
御城印
戦国時代の城
豊臣秀吉、徳川家康、井伊直虎・直政ゆかりの地である。
松下氏は、戦国時代、引馬城の飯尾氏に仕え、後に家康に伝えました。
頭陀寺城(松下屋敷)
頭陀寺はかつて天竜川下流にあった広大な「川勾荘」の現地荘官として、四十六所明神[現在は津毛利神社と改称]とともに荘園の中核をなしました。 往時には多くの塔頭寺院をかかえ、寺院も広く、門前には市場もたちました。当時の境内には戦国大名今川氏に仕えた武将 松下之綱の屋敷があり、 ここ一帯は別名 頭陀寺城とも呼ばれました。松下屋敷には、少年時代の豊臣秀吉が天文20年(1551)から三年にわたり奉公していたと記録にあり、 この寺の付近には鎌研池や目刺橋など秀吉にかかわる伝承地も残っています。
なお、松下氏の一族は井伊氏とも近く、父・直親を殺された幼少の井伊直政を匿い、母の再婚相手となった松下源太郎[清景]が直政を養子として、 今川氏の追ってから保護しました。また、松下之綱の娘は柳生宗矩に嫁ぎ、柳生十兵衛を生んでいます。
その後、今川氏に反攻した松下氏や飯尾氏らとの攻防で、永禄7年(1564)頭陀寺は炎上してしまいましたが、後年、縁のあった 豊臣秀吉、徳川家康の寄進により復興しました。
『頭陀寺城(松下屋敷)跡』説明より
■頭陀寺城
天守台
■松下屋敷跡
松下屋敷跡
松下屋敷は戦国時代の国人領主、松下氏が居を構えた場所で別名、「頭陀寺(ずだじ)城」と呼ばれています。 屋敷の敷地は 100m 四方ほどありました。この屋敷の主であった松下 之綱(ゆきつな)には、織田信長に仕える前の 豊臣秀吉が奉公したと伝わります。
浜松市は、2001年と2015年に発掘調査を行い、礎石建物や庭園の池、屋敷を囲む土塁や堀などを確認し、豊富な遺物が 出土しました。これらの発掘調査結果によって、当地には伝承どおり、戦国時代の居館が地中に埋もれていることが明らかになりました。
なお、幼少期の井伊直政(虎松)は松下氏の一門である松下清景の養子となり、徳川家康への謁見がかないました。
『松下屋敷跡』説明より
住所
静岡県浜松市南区頭陀寺町214
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2017年4月現在
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