名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2026年10月17日

名右衛門
更新情報
・ 御城印
・ 城巡り
目次
・ 郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
・ 家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
・ 志士伝
・ 北条早雲情報
管理人 ・名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
東京都 > 千葉定吉道場跡

城と館
東海道
御城印

幕末の北辰一刀流剣術道場

坂本龍馬が通った道場。

千葉定吉道場跡

 千葉定吉(?~1879)は、北辰一刀流剣術の創始者千葉周作の弟であり、自身も北辰一刀流の使い手と知られています。
 千葉周作は、文政五年(1822)に道場を品川町(現在の日本橋室町一丁目のうち)に開き、その後、神田お玉ヶ池(現在の千代田区岩本町付近)に移転をしました。玄武館と名付けられたこの道場は、江戸三大道場の一つに数えられるほどの隆盛を極めました。
 定吉は、兄周作の玄武館道場の隆盛に貢献した後、自らもこの地付近に「小千葉道場」などと通称される道場を開きました。
 定吉の名前は、嘉永六年(1853)十二月改正の絵図には新材木町(現日本橋堀留町一丁目のうち)に、嘉永七年正月改正の絵図には狩野屋敷と呼ばれていた(幕府置く江氏鍛冶橋狩野家の屋敷に由来)この地域に確認するとができます。
 嘉永六年、剣術修行のために江戸へ出てきた土佐藩士坂本龍馬(1835~1867)は、定吉の門に入ったとされています。この時定吉は、鳥取藩池田家に仕官していたため、龍馬は定吉の息子千葉重太郎のもとで修業に励んだとも考えられています。また、安政三年(1856)に江戸へ再出府した際にも、定吉の道場で剣術修行を行い、安政五年正月には定吉から「北辰一刀流 長刀兵法」の目録を伝授されました。

中央区教育委員会 説明板抜粋

■千葉定吉道場跡
千葉定吉道場跡

説明
 


住所東京都中央区八重洲2丁目8-8付近
時間-
休日-
拝観料-
駐車場無
2015年5月現在


Copyright (C) 2008-2026 naemon All Rights Reserved.