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2024年11月21日
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釜屋跡
(かまやあと)
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東海道
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幕府御用宿 釜屋 跡
新選組が滞在した宿
釜屋跡
この地はもと「釜屋」のあったところです。釜屋は南品川にあった建場茶屋のひとつで、東海道を上り 下りする旅人たちは、ここで休息したり、見送りや出迎えの人たちと宴会をひらいたりしました。大へん 繁盛したので、のちには本陣のような構えに改築しました。それで俗に「本陣」とよばれたりしました。
幕末動乱の世情を反映して慶応3年(1867)には連日のように幕府関係者が休んだり宿泊した 記録が残っています。永井尚志(若年寄格)をはじめ、奉行、代官、歩兵隊々長、旗本達が数多く利用しました。
有名な新選組副長土方歳三も、隊士を連れて、慶應3年10月21日に休息しています。
また、慶應4年1月(1868)の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在しました。
幕府御用宿『釜屋跡』説明より抜粋
■釜屋跡
釜屋跡
説明
東海道保土ヶ谷宿の松
住所
東京都品川区南品川3丁目6
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
無
2015年7月現在
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