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東京都 > 六郷一里塚跡 (ろくごういちりづかあと)
東海道53次、日本橋から4番目の一里塚
旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。
六郷一里塚跡 |
当社は、多摩川の清流に南面する古い八幡宮であり、六郷一円の総鎮守として、ひろく崇敬されています。
社紀によれば、源頼義・義家の父子が、天喜5年(1057)この地の大杉に源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、
石清水八幡に武運長久っを祈ったところ、士気大いにふるい、前九年の役に勝利をおさめたので、その分霊を勧請したのが、
当社の創建とさえています。 文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定のみぎり、祖先の吉例にならって戦勝を
祈り、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。今なお境内に残る大きな手水石は、このとき頼朝が
奉献したものであり、神門前の太鼓橋は景時の寄進と伝えられます。 天正19年(1591)11月、徳川家康は
18石の朱印地を寄進し、慶長5年(1600)六郷大橋の竣功に際しては、神威をたたえて祝文をたてまつり、当社の
神輿をもって渡初式を挙げました。また、鷹狩りの途次にもしばしば参詣したと史書にみえます。当社が巴紋とともに
葵紋を用いている所以です。 江戸時代には六郷八幡宮とも呼ばれていましたが、明治5年(1872)に東京府郷社に列し、
動年より六郷神社と改称して今日に至っています。
なお当社には、毎年1月7日に行われる流鏑馬(東京都無形民俗文化財)と、6月の祭礼時に少年少女が奉仕する獅子舞が
伝承されています。
『六郷神社由緒』説明より
社殿正面の道が、慶長6年(1601)に幕府の制定した古い東海道で、松並木が続いていました。これが西方に付け替えられた
のは元和9年(1623)といわれます。このとき、神域を囲っていた溝堀の一部を埋めて、脇参道ができました。
往還の両側に並んでいるのは八幡塚村の人家で、脇参道の鳥居からやや南寄りに、日本橋から4里(15.6km)の一里塚と、その前
に高札場が描かれています。東方はるかに連なるのは房総の山々で、右手には川崎大使の屋根も見え、辺り一面は水田です。
社殿の上の方にひときわ大きくめだっているのは、今も境内にある塚で、八幡塚あるいは神輿塚と呼ばれ、竹林に囲まれていた
様子がうかがえます。かつて六郷六か村の中心をなし、当社の宮本でもあった八幡塚村という村名は、この聖なる塚に由来します。
近代に及んで東海道は第一京浜国道となりますが、脇参道付近から六郷橋へ向かう道筋の一部は、旧東海道の幅員を比較的よく残しています。
ちなみに『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』は、天保7年)1836)に刊行された地誌です。
『江戸名所図会』説明より
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■六郷一里塚跡
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六郷神社 |
東海道跡の碑 |
六郷神社由緒 |
住所 | 東京都大田区東六郷3丁目10-18 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | 無 |
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2016年1月現在 |
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