名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月4日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
東京都 > 品川一里塚跡 (しながわいちりづかあと)

城と館
東海道
御城印

東海道53次、日本橋から2番目の一里塚

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。

品川一里塚跡

一里塚は定かではないが、日本橋から2里の場所が品川宿であり、碑が立っている。

「東海道53次」といわれる江戸から京都間の53の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。  旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え、 宿内の家屋は1600軒、人口7000人規模で賑わっていた。  今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。

『東海道品川宿』説明より

江戸時代の東海道は、品川宿に入ると海にちかくなり、宿場通りから海岸の方へ行く横町は全て坂になっていました。  昔の海岸線には護岸のための石垣が築かれていました。江戸時代には、ときどき波浪によって この石垣が壊され、宿場にとって修復は大変な負担となりました。

『海岸石垣の名残』説明より

■品川一里塚跡
品川一里塚跡

外観

『東海道品川宿』説明

『海岸石垣の名残』説明

公園内


住所 東京都品川区北品川1丁目30 品海公園入口付近
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.