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2021年1月16日
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陸奥宗光先生之像
(むつむねみつせんせいのぞう)
城と館
海援隊隊士、外務大臣
陸奥宗光(1844~1897)。伊達小次郎。陸奥陽之助。お墓は鎌倉の寿福寺にある。
陸奥宗光先生之像
弘化元年(1844)7月7日、紀州藩士 伊達宗広・母 政子の第六子として和歌山城下に生まれる。
15歳の時、江戸に出て文久年間(1861~1864)以降尊王攘夷運動に参加し、勝海舟の海軍塾に入塾、慶応3年(1867) 坂本竜馬の海援隊に入隊する。開国進取の政策を説き、明治元年(1868)岩倉具視の推挙により、外国事務局御用掛として官途に就く。
明治3年(1870)和歌山藩執事となって藩政改革に従事、兵制を整備した。その兵制は諸藩の注目するところとなり、さらに改革は 教育、産業、生活様式にまで及び近代和歌山の出発点となった。
廃藩置県以後、再び政府に出仕し、明治5年(1872)租税頭に任じられ、地租改正局長として地租改正を行う。明治21年(1888)外務省特命全権公使として メキシコの日墨修好通商条約に調印し、我が国最初の対等条約を結んだ。
明治25年(1892)第二次伊藤博文内閣の外務大臣に就任し、政府が国家主権回復の最重要課題としていた不平等条約の改正に取り組んだ。 明治27年(1894)陸奥宗光の尽力により、イギリスとの間に、日英通商航海条約が結ばれ、領事裁判権の撤廃、関税自主権の部分的回復に成功し、 不平等条約を取り除く大きな糸口となった。この不平等条約改正は、我が国の国家主権を取り戻すという国民的課題であった。同年8月に日清戦争が勃発したが、 外務大臣として折衝し、翌明治28年(1895)4月下関において、清国との日清講和条約締結に尽力した。
この功を以って伯爵を特授、旭日大綬章うぃ授けられた。
明治29年(1896)5月、病により退官。
明治30年(1897)8月24日 54歳で没した。
青年期の陸奥宗光は、我が県はもとより国内近代化体制整備に尽力し、壮年期は国家の国際的地位の向上に大きく貢献した。そして、その影響力は 今日にまで及んでいる。
日本外交の一大難局を乗り越えた才腕は「剃刀大臣」と言われ、今も語り継がれている。
「陸奥宗光」説明より
■陸奥宗光先生之像
陸奥宗光先生之像
住所
和歌山県和歌山市岡山丁 岡公園
時間
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休日
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拝観料
-
駐車場
有
2016年4月現在
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