名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月9日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
和歌山県 > 田辺城 (たなべじょう)

城と館

浅野家家臣、浅野氏重が築城

のちに紀州藩の城となり、明治まで続く。

田辺城

 田辺城は関ヶ原の合戦後、紀伊国に入国した浅野幸長の執政・浅野左衛門佐氏重によって、慶長11年(1606)会津川左岸河口に築城されました。
 その後、元和5年(1619)紀州藩主徳川頼宣の附家老・安藤帯刀直次が田辺領主となりましたが、安藤直次は紀州藩の重心として和歌山城下に常駐していたため、 田辺城には直次の従弟・安藤小兵衛を留守居役として置き、小兵衛家が代々城代家老を務めてました。
 明治3年(1870)田辺城は廃城となり、遺構の多くは姿を消しましたが、埋門型の水門とそれに続く石垣が当時の面影を留めています。

「田辺城水門」説明より

■田辺城
田辺城水門




会津川


住所 和歌山県田辺市上屋敷3丁目7 錦水公園
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年4月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.