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和歌山県 > 徳川吉宗公像 (とくがわよしむねこうぞう)
徳川幕府8代目将軍、徳川吉宗
目安箱の設置など様々な施策を行い、米将軍ともいわれる。
徳川吉宗公像 |
享保年間に吉宗が西洋より馬を輸入との史実が有り、その西洋場と人物像(革新的アイディアと積極的行動)の情熱と強い意志を年令40歳位にて想定。
台座は大きな視野で物事を考えた将軍にちなみ丸い部分にて、広い世界即ち地球を表現致しました。
「吉宗公ブロンズ製作に当たって」説明より
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1684年 貞享元年 紀州(和歌山県)藩藩主徳川光貞の四男として生れる。幼名「源六」「新之助」
元服して「頼方」と名のる。
1697年 元禄十年 五代将軍綱吉より越前(福井県)丹生の藩主の位を与えられる。
1700年 元禄十三年 越前丹生に向かう。
1705年 宝永二年 第五代紀州藩主となり名前も「吉宗」と改める。
1716年 享保元年 八代将軍となる。
32~61歳迄の将軍職の間、権現様(家康)の治世を理想とする享保の改革を断行。
文武奨励、洋書の一部輸入許可、法令整備、新田開発等を推進、米価対策にも腐心し
米将軍とも呼ばれる。幕府中興の英主といわれ、その功績は高く評価されている。
1745年 延享二年 61歳にて将軍職を退く。長男家重が九代将軍となる。
1751年 宝暦元年 67歳にて生涯を閉じる。有徳院と諡す。
「徳川吉宗年表」より
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■徳川吉宗公像
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徳川吉宗公像 |
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住所 | 和歌山県和歌山市吹上1丁目4-14 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | 有(最寄有料駐車場) |
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2016年4月現在 |
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