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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月26日

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和歌山県 > 和歌山城 (わかやまじょう)

城と館

紀州徳川家、徳川吉宗の城

1846年に落雷で焼失したが、1850年に再建される。その後、1945年の和歌山大空襲にて焼失した。

和歌山城

 天正13(1585)年、羽柴(豊臣)秀吉の命で弟の秀長がまず築城したのが、虎伏山の山頂部分でした。秀長は家老の桑山重晴を城代として置き、ここに天守を建てました。 天守閣の一段下の北西にあった蔵が、その時の天守だとの説があります。慶長5年(1600)年、関ヶ原の戦いの後に城主となった浅野幸長は、高さ約49mある西方のこの峰を 「本丸」とし、黒板張りですが、ほぼ現在の近い天守閣を建てました。
 元和5(1619)年に徳川頼宣が入国すると、「天守郭」と呼ぶようになります。天守閣は大天守から時計回りに多門、天守二之御門(楠門)、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、 御台所、小天守へと続く連立式天守です。三階建ての大天守は不定形な地盤に制約され、一階の東側と西側が二棟を結合した珍しい比翼入母屋造となっています。
 寛政10(1798)に黒板張から白壁となりますが、弘化3(1846)年の落雷で焼失しました。天守再建は通常は許可されませんでしたが、御三家ということで認められ 嘉永3(1850)にほぼ元のまま再建されます。ただし、楠門へ入る階段の位置が異なるなど、一部違いがありました。天守閣は昭和10(1935)年に国宝に指定されますが、 昭和20年7月9日の和歌山大空襲で焼失しました。しかし昭和33年、市民の努力で復元されたのです。

「天守郭と天守閣」説明より

■和歌山城
天守閣

天守閣と乾櫓

乾櫓

二の門櫓

岡口門

御橋廊下(おはしろうか)


石垣


追廻門



住所 和歌山県和歌山市一番丁3
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年4月現在


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