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山梨県 > 馬場美濃守信春屋敷跡(ばばみののかみのぶはるやしきあと)
武勇に優れた築城術の名手
馬場美濃守信春。?~天正3年5月21日。
馬場美濃守信春屋敷跡 |
甲信国境の豪族教来氏(武川衆)の出身で、天文15年(1546)に信玄に抜擢され、50騎
を預けられて、馬場氏の名跡を継いだという。信玄の信濃経略で活躍し、天文19年(1550)
に小笠原長時が没落すると、深志城(現在の国宝松本城の前身)の城代に就任した。川中島の戦いでは、
山本勘助とともに「啄木鳥の戦法」を立案し、信玄に献策した。また、山本勘助より築城術を学び、
駿河清水城、田中城などの築城を手がけたという。永禄5年(1562)より、信濃牧野島城に在城し、
越中国の親武田方との連携や、海津城の高坂弾正とともに上杉謙信の監視を行った。山県・原・内藤とともに、
信玄・勝頼を支えた。長篠の合戦では、殿軍を担い、勝頼を逃がすために奮戦して戦死した。
その戦いぶりは、織田方も称えた。
『馬場美濃守信春屋敷跡』説明より
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■馬場美濃守信春屋敷跡
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馬場美濃守信春屋敷跡 |
馬場信春 |
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住所 | 山梨県甲府市大手3丁目1 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2007年10月現在 |
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