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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月25日

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山梨県 > 大泉寺(だいせんじ)

城と館
御城印

武田信玄父、信虎開基の寺

 大泉寺は、武田信虎が大永元(1521)年に菩提寺として開基した禅刹で広厳院とともに甲斐曹洞宗八百余ヶ寺の 僧録司を勤め、常法憧七ヶ寺に列する名刹でもある。
 天正2(1574)年3月信虎卒するや、ここに葬り、その墓所は県指定史跡である。永禄・文化・昭和の3度の大火 にもかかわらず、なお多くの文化財が保存され『逍遙軒筆武田信虎像』『呉太素筆松梅図』の2幅は重要文化財とされ、 武田晴信以下多くの支配者や曹洞宗高僧の書状は、この寺ならびに中世・近世の甲斐文化を究める上の重要な資料である。

『大泉寺文書』説明より

大泉寺

武田信虎
 明応3年1月6日石和館にて生れる。幼名を川田五郎という。永正4年、14才の時、武田家18代 の甲斐国主となり、永正17年従五位下左京太夫陸奥守に任ぜられる。天正2(1574)年3月5日、高遠城にて81才にて病没。

 信虎は、武田信縄(のぶつな)の子として明応3(1494)年石和館に生れた。 永正4(1507)年武田氏の家督を継ぎ、武力をもって甲斐国内の統一に成功したが、 やがて嫡子晴信(信玄)と対立、駿河(静岡県)に追われた。流浪の末、天正2(1574)年 信濃国(長野県)伊那で病没し、ここ大泉寺に葬られた。法号を大泉寺殿泰雲在康庵主という。 彼はまた、永正16(1519)年、館を躑躅ヶ崎に移し、甲府を創設したことでも知られている。
信虎の墓は、中央の五輪塔(補修の際、上部を相輪状に変えた)がそれである。

『武田信虎の墓』説明より

■大泉寺
大泉寺

総門

 

 
 
武田信虎の墓(中央)

武田信虎の墓


住所 山梨県甲府市古府中町5015
時間
休日
拝観料
駐車場
2007年2月現在


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