名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2026年10月10日

名右衛門
更新情報
・ 御城印
・ 城巡り
目次
・ 郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
・ 家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
・ 志士伝
・ 北条早雲情報
管理人 ・名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 原隼人佑昌胤屋敷跡 (はらはやとのすけまさたねやしきあと)

城と館
御城印

武田軍の陣場奉行を務めた知将

原隼人佑昌胤屋敷跡。?~天正3年5月21日。

原隼人佑昌胤屋敷跡

 信虎に仕えた譜代家老原加賀守昌俊(はらかがのかみまさとし)の子で、信玄に登用された。武田軍の 陣立てなどを立案する陣場奉行を命じられたといわれ、また信玄の側近、奉行としても活躍した。信玄の 晩年には、山県昌景とともに、武田家最高職である両識を担ったとされる。父昌俊は、九十騎を率いたが、 昌胤は加増されて百二十騎を指揮していた。天正3年(1575)の長篠の戦いで戦死した。家督は、 二代目隼人佑昌栄(まさひで)が継ぎ、勝頼の側近、奉行となり、駿河国沼津城の普請を行っている。 昌栄は、天正8年(1580)10月、勝頼の上野国東部侵攻に従軍し、膳城(前橋市)攻防戦で重傷を 負い、甲府帰還後に死去した。昌栄の跡は、実弟で昌胤の三男で、三代目隼人佑貞胤が継ぎ、武田氏滅亡の 際には、真田昌幸を頼って落ち延びたといわれる。

『原隼人佑昌胤屋敷跡』説明より

■原隼人佑昌胤屋敷跡
屋敷跡

原昌胤


住所 山梨県甲府市屋形3丁目2
時間-
休日-
拝観料-
駐車場-
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2026 naemon All Rights Reserved.