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山梨県 > 一条右衛門太夫信竜屋敷跡 (いちじょううえもんたゆうのぶたつやしきあと)
武田宗家に殉じた一族
一条右衛門太夫信竜。?~天正10年10月3日。
一条右衛門太夫信竜屋敷跡 |
信虎の七男(実は八男)。信玄の異母弟。信竜は、甲斐源氏の名門一条氏の名跡を継ぎ、本拠地を
上野城(市川三郷町)に置いたという。武田氏の一門衆(御親類衆)として、百騎を引率し、信濃の
豪族青柳・与良・大津氏を指揮下に置いて活躍した。信竜は、いざ合戦に際して慌てぬように、常日ごろ
から、武具の手入れや更新を怠らなかった。また、諸国の牢人の中から、選抜した人材を召し抱えるよう、
心懸けていた。そのため、信玄や家臣達から賞賛されたという。信玄の晩年には、大和国松永久秀らの
大名との外交を担当し、息子信就(のぶなり)とともに、所領の青柳(増穂町)に新宿を建設にも尽力している。
天正10年(1582)の武田氏滅亡の際には、本拠地上野城に籠城して徳川家康と戦い、信就とともに
市川で処刑されたと伝わる。
『一条右衛門太夫信竜屋敷跡』説明より
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■一条右衛門太夫信竜屋敷跡
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屋敷跡 |
一条信竜 |
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住所 | 山梨県甲府市北新2丁目9 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2016年3月現在 |
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