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2021年1月19日
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甲府城跡(こうふじょうあと)
城と館
御城印
別名、舞鶴城
江戸幕府6代将軍、徳川家宣や、綱吉に仕えた柳沢吉保らの城である。
甲府城跡
甲斐国は、天正10年(1582)武田家滅亡後は、織田信長・徳川家康(城代 平岩親吉)の時代を経て、 天正18年(1590)豊臣秀吉の支配となり、羽柴秀勝、加藤三泰、浅野長政・幸長親子により治められました。
甲府城は慶長5年(1600)頃に浅野氏により完成したと考えられます。関ヶ原の戦い後は徳川義直(家康の九男)、 忠長(2代将軍秀忠の三男)、綱重(3代将軍家光の三男)、綱豊(後の6代将軍家宣)ら徳川家一門が城主となり城番・城代制が しかれました。宝永2年(1705)には、徳川家以外の大名として武川衆出身の柳沢吉保・吉里親子が領主となり、この時代に 城下町も大きく発展しました。柳沢氏の大和郡山移封後は、甲府勤番制となり、また、大火にもおそわれ、次第に壮麗な姿は 失われていきました。
『甲府城跡 舞鶴城公園案内図』より抜粋
■甲府城跡
稲荷櫓
舞鶴城公園(甲府城跡)説明
入口
稲荷曲輪門
鍛冶曲輪門
坂下門跡から本丸を望む
本丸へ
本丸からの外観
石垣
堀
堀と遊亀橋
歴史公園(建築中)
本丸より稲荷櫓を望む
住所
山梨県甲府市丸の内1丁目
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
-
2007年2月現在
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