名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年4月14日

名右衛門
更新情報
歴史志伝
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
歴史志伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 飯富兵部少輔虎昌屋敷跡(おぶひょうぶのしょうとらまさやしきあと)

城と館
御城印

信虎・信玄・義信を支えた反骨の老臣

飯富兵部少輔虎昌。?~永禄8年10月15日。

飯富兵部少輔虎昌屋敷跡

 武田家の譜代家老で、山県昌景の実兄。永正12年(1515)ごろ、家督を相続したが、 享禄4年(1531)に信虎と対立し、御岳に今井・栗原氏らと立て籠もったこともある。 まもなく武田氏に帰服し、信虎追放後は信玄を支えた。信虎・信玄二代の重要な作戦のほとんどに 参加し、活躍した。天文20年(1551)には、信濃国内山城(佐久市)の在番を、同22年 (1553)には塩田城主に、さらに室賀城の在番を歴任し、村上義清や上杉謙信の侵攻に備えた。 永禄5年ごろから、信玄の嫡男義信の傅役となった。信玄と義信が対立すると、虎昌は立場上、 義信を擁護せざるをえず、信玄暗殺に参画したが発覚したため、責任を一身に背負って刑場の 露と消えた。

『飯富兵部少輔虎昌屋敷跡』説明より

■飯富兵部少輔虎昌屋敷跡
屋敷跡

飯富虎昌


住所 山梨県甲府市武田4丁目3
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2021 naemon All Rights Reserved.