更新情報 |
|
|
目次 |
|
|
リンク集 |
|
|
|
|
|
勉強中の管理人に メールを送信する |
|
|
|
|
山梨県 > 真田源太左衛門尉信綱屋敷跡 (さなだのぶつなやしきあと)
勝頼を救った真田兄弟
真田源太左衛門尉信綱。天文6年~天正3年5月21日。
真田源太左衛門尉信綱屋敷跡 |
真田幸隆の嫡男で、元亀元年(1570)ごろに父の跡を継ぎ、真田氏の当主となった。信玄の命により、
永禄10年(1567)、父幸隆とともに上野国白井城を攻略し、箕輪城に入って、その増強を行っている。
また同じころ、上野国岩櫃城代となり、上杉謙信の南下に備えた。信玄晩年の合戦には、ほとんど参加しており、
その功績により、元亀3年(1572)には信濃の武士で、唯一、二百騎という最大の兵力を与えられた。この
兵力は、武田勝頼・信豊・穴山信君らに並ぶものであり、信玄の信頼の厚さを窺わせる。天正3年(1575)の
長篠の戦いでは、弟昌輝(まさてる)とともに、勝頼を逃がすために奮戦して戦死した。真田家は兄弟が戦死
したため、武藤家(信玄生母の一族)の養子となっていた昌幸が相続した。
『真田源太左衛門尉信綱屋敷跡』説明より
|
■真田源太左衛門尉信綱屋敷跡
|
屋敷跡 |
真田信綱 |
|
住所 | 山梨県甲府市古府中町 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
|
2016年3月現在 |
|
|
|