更新情報 |
|
|
目次 |
|
|
リンク集 |
|
|
|
|
|
勉強中の管理人に メールを送信する |
|
|
|
|
山梨県 > 真田弾正忠幸隆屋敷跡 (さなだだんじょうのじょうゆきたか)
信玄が信頼した知謀の武将
真田弾正忠幸隆。永正10年?~天正2年5月19日。
真田弾正忠幸隆屋敷跡 |
真田氏は、信濃国小県郡を中心に発展した滋野一族の支流で、幸隆は名族海野氏の出身といわれる。実名は幸綱が
正しい。天文10年(1541)に、信玄の父信虎に攻められ、海野棟綱(むねつな)らとともに上野国に亡命したが、
同15年(1546)までに信玄に臣従し、信濃経路に功績があった。信玄が落とせずに敗れた戸石城を、天文20年
(1551)に乗っ取り、村上義清追放のために活躍した。永禄2年(1559)に、信玄にならって自らも出家し、
一徳斎と号した。川中島の戦いや、上野国経路で戦功があり、上野国岩櫃城や白井城などを攻略し、武田氏の上野国
西部制圧を確実なものとした。元亀元年(1570)ごろには家督を嫡男信綱に譲り、天正2年(1574)に病没した。
『真田弾正忠幸隆屋敷跡』説明より
|
■真田弾正忠幸隆屋敷跡
|
屋敷跡 |
真田幸隆 |
|
住所 | 山梨県甲府市大手3丁目4 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
|
2016年3月現在 |
|
|
|