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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年4月14日

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山梨県 > 真田弾正忠幸隆屋敷跡 (さなだだんじょうのじょうゆきたか)

城と館
御城印

信玄が信頼した知謀の武将

真田弾正忠幸隆。永正10年?~天正2年5月19日。

真田弾正忠幸隆屋敷跡

 真田氏は、信濃国小県郡を中心に発展した滋野一族の支流で、幸隆は名族海野氏の出身といわれる。実名は幸綱が 正しい。天文10年(1541)に、信玄の父信虎に攻められ、海野棟綱(むねつな)らとともに上野国に亡命したが、 同15年(1546)までに信玄に臣従し、信濃経路に功績があった。信玄が落とせずに敗れた戸石城を、天文20年 (1551)に乗っ取り、村上義清追放のために活躍した。永禄2年(1559)に、信玄にならって自らも出家し、 一徳斎と号した。川中島の戦いや、上野国経路で戦功があり、上野国岩櫃城や白井城などを攻略し、武田氏の上野国 西部制圧を確実なものとした。元亀元年(1570)ごろには家督を嫡男信綱に譲り、天正2年(1574)に病没した。

『真田弾正忠幸隆屋敷跡』説明より

■真田弾正忠幸隆屋敷跡
屋敷跡

真田幸隆


住所 山梨県甲府市大手3丁目4
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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