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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月25日

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山梨県 > 新府城(しんぷじょう)

城と館
御城印

武田氏最後の城
 新府城は武田勝頼によって天正9年(1581年)2月に築城着手され、その完成したのは同年12月であった。 それまで甲府躑躅ヶ﨑の館の館城にあった勝頼は四囲の情勢から考えてこの天険を利用する以外に方策がなかったのである。しかし時すでに遅く 天正10年3月3日織田軍の侵攻を前に自ら城を焼いて東方、郡内領 岩殿城を指して落ちた悲劇の城跡である。
         
2020/08/01
新府城
 新府城は、天正10年3月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して 落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
 本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と本丸の標高差80メートル。 型式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2.5メートルの土塁を巡らしている。
 最高所は本丸で、東西90メートル、南北120メートル、 本丸の西に蔀の構を隔てて二の丸があり馬出しに続く。本丸の東に稲荷曲輪、二の丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。 堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な二ヵ所の出構が築かれている。三の丸の南方には大手が開け望楼があり、 三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。搦手にも望楼がある。蔀の構、出構は新府城の 特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新鋭兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。

『新府城』説明より

■新府城
新府城

本丸跡

想定復元図

勝頼公霊社は、武田氏滅亡後当地方民が国主の恩徳を追慕し新府城守護神・藤武神社の北西の地を相して石祠を建立し、 勝頼公の心霊を納め之を祀り勝頼社と称し、毎年卒去の当日は、慰霊祭を執り行い「お新府さん」と呼び藤武神社とともに地元民から親しまれてきた。
勝頼神社建立の時期は、貞亨、元禄(1684年)の頃と言い伝えられている。

『石祠・武田勝頼公霊社』説明より


石祠・武田勝頼公霊社


武田14将霊碑


小塚 長篠役陣没将士之墓

大塚 長篠役陣没将士之墓


藤武神社


住所山梨県韮崎市中田町中條4887
時間
休日
拝観料
駐車場
2020年8月現在


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