名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年11月21日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 多田淡路守満頼屋敷跡 (ただあわじのかみみつよりやしきあと)

城と館
御城印

信虎・信玄の筆頭家老

多田淡路守満頼。?~永禄6年12月。

多田淡路守満頼屋敷跡

 多田淡路守は、美濃の出身という。仮名は三八郎(さんぱちろう)といい、略して多田三八と呼ばれることが多かった。 足軽大将に任命され、信虎以来、数多くの合戦に参加し、感状をもらうこと二十九度に及び、そのため全身に二十七ヵ所 の疵痕があったという。信濃虚空蔵砦を警固していた時に、現れた鬼を退治したとの伝説がある。信玄より、甲信国境の 先達城(長野県富士見町)を与えられて、ここを本拠とし、境目の守備を担っていたともいわれ、信濃経路に多くの実績 を残した。先達城跡には、多田氏の菩提寺常昌寺が建つ。満頼の死後は、息子多田親蔵が後継者となったが、長篠の戦いで 戦死したと伝わる。この他に、勝頼滅亡の際に殉死した、多田久蔵も満頼の子か一族と推定されている。

『多田淡路守満頼屋敷跡』説明より

■多田淡路守満頼屋敷跡
屋敷跡

多田満頼


住所 山梨県甲府市屋形3丁目5
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.