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山梨県 > 多田淡路守満頼屋敷跡 (ただあわじのかみみつよりやしきあと)
信虎・信玄の筆頭家老
多田淡路守満頼。?~永禄6年12月。
多田淡路守満頼屋敷跡 |
多田淡路守は、美濃の出身という。仮名は三八郎(さんぱちろう)といい、略して多田三八と呼ばれることが多かった。
足軽大将に任命され、信虎以来、数多くの合戦に参加し、感状をもらうこと二十九度に及び、そのため全身に二十七ヵ所
の疵痕があったという。信濃虚空蔵砦を警固していた時に、現れた鬼を退治したとの伝説がある。信玄より、甲信国境の
先達城(長野県富士見町)を与えられて、ここを本拠とし、境目の守備を担っていたともいわれ、信濃経路に多くの実績
を残した。先達城跡には、多田氏の菩提寺常昌寺が建つ。満頼の死後は、息子多田親蔵が後継者となったが、長篠の戦いで
戦死したと伝わる。この他に、勝頼滅亡の際に殉死した、多田久蔵も満頼の子か一族と推定されている。
『多田淡路守満頼屋敷跡』説明より
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■多田淡路守満頼屋敷跡
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屋敷跡 |
多田満頼 |
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住所 | 山梨県甲府市屋形3丁目5 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2016年3月現在 |
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