名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月25日

名右衛門
更新情報
歴史志伝
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
歴史志伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 武田刑部少輔信廉屋敷跡 (たけだぎょうぶのしょうのぶかどやしきあと)

城と館
御城印

文武両道の武将

武田刑部少輔信廉。天文元年~天正10年3月24日。

武田刑部少輔信廉屋敷跡

 信虎の三男(実は四男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。仮名は孫六で、 元服して刑部少輔の官途を称した。兄信繁とともに、信玄を支え、信濃深志城代や高遠城代を歴任したという。 だが信廉は、武将としての活躍よりも、画家としての実績のほうが著名で、父武田信虎画像(甲府大泉寺所蔵)、 母大井夫人画像(甲府長禅寺所蔵)などを残している。兄信玄の死後、出家して逍遙軒信綱(しょうようけんしんこう)と 称し、勝頼を補佐した。天正5年(1577)からは、信濃大島城代となり、織田・徳川軍の侵攻に備えた。また、 勝頼とともに諏訪大社下社宝塔の建立に携わっている。武田氏滅亡後、織田軍に捕らえられ、甲府の立石(鮎川原とも いわれる)で殺害された。甲府の逍遙院に供養塔がある。

『武田刑部少輔信廉屋敷跡』説明より

■武田刑部少輔信廉屋敷跡
屋敷跡

武田信廉


住所 山梨県甲府市古府中町
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2021 naemon All Rights Reserved.