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山梨県 > 武田刑部少輔信廉屋敷跡 (たけだぎょうぶのしょうのぶかどやしきあと)
文武両道の武将
武田刑部少輔信廉。天文元年~天正10年3月24日。
武田刑部少輔信廉屋敷跡 |
信虎の三男(実は四男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。仮名は孫六で、
元服して刑部少輔の官途を称した。兄信繁とともに、信玄を支え、信濃深志城代や高遠城代を歴任したという。
だが信廉は、武将としての活躍よりも、画家としての実績のほうが著名で、父武田信虎画像(甲府大泉寺所蔵)、
母大井夫人画像(甲府長禅寺所蔵)などを残している。兄信玄の死後、出家して逍遙軒信綱(しょうようけんしんこう)と
称し、勝頼を補佐した。天正5年(1577)からは、信濃大島城代となり、織田・徳川軍の侵攻に備えた。また、
勝頼とともに諏訪大社下社宝塔の建立に携わっている。武田氏滅亡後、織田軍に捕らえられ、甲府の立石(鮎川原とも
いわれる)で殺害された。甲府の逍遙院に供養塔がある。
『武田刑部少輔信廉屋敷跡』説明より
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■武田刑部少輔信廉屋敷跡
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屋敷跡 |
武田信廉 |
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住所 | 山梨県甲府市古府中町 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2016年3月現在 |
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