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2021年1月23日
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武田信玄公の墓(たけだしんげんこうのはか)
城と館
御城印
甲斐国主、武田信玄公御墓所
信玄の死は3年間秘密にされ、恵林寺にて埋葬されたといわれる。
武田信玄公の墓
天正元年(1573)4月12日、信州伊那駒場で53歳を一期として、波瀾の生涯を閉じた英雄信玄公はその臨終に際し、 3年間の秘喪を命じた。嫡子勝頼公は、これに従い、信玄公の遺骸を密かにして、3年後、24将の1人、土屋右衛門昌次の邸内で、 茶毘に附し、天正4年4月16日、塩山、恵林寺に於て、葬礼を行い、埋葬した。岩窪の墓所は、土屋氏の邸跡で、後世これを、 魔縁塚と呼び、里人は恐れて近づかなかったという。それから、およそ二百年後の江戸時代安永8年(17779)甲府代官、 中井清太夫が発掘して、石棺を見つけ、その銘に「法性院機山信玄大居士・天正元年癸4月12日死」とあったので、もとの ように埋め幕府に届けて、信玄公の墓と定めた。 この時、東花輪村、田中喜衛門、西花輪村、内藤正助、他52人の武田家の旧臣有志が大石碑を建て、壮麗な聖域とした。 碑文は時の円光院住職・愚應の書である。
『甲斐国主、武田信玄公御墓所』説明より抜粋
■武田信玄公の墓
稲荷櫓
外観
碑文説明
住所
山梨県甲府市岩窪町
時間
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休日
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拝観料
-
駐車場
無
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