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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2026年9月28日

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山梨県 > 鳥居畑古戦場跡 (とりいばたこせんじょうあと)

城と館
御城印

武田家最後の地

天目山の戦い。

鳥居畑古戦場跡

時、天正10年3月10日孤影消然僅かな家臣を従えて敗走つづける勝頼公の一行が、ようやく笹子峠の麓、駒飼についた時、 岩殿城に連絡に行った土屋昌恒が急ぎ帰り、城主小山田信成が謀判を計っている事を言上し、勝頼公は止むなく天目山に籠り 防戦をする事に決め、付き従う者は、秋山紀伊守光継、阿部加賀守、土屋昌恒等43人、初鹿野から日川の渓谷づたいに田野の 里に入った。其時かねて侫人の讒言により、主君勝頼公の勘気にふれて幽閉されていた小宮山内膳友信は今こそ最後の御供を と田野の本陣に馳せ勝頼の許しを乞ふたのである。
その夜天目山の頂きは残雪を残して寒気きびしく疲れはてた主従は明日の運命を悟りきってか深い眠りにおちていた。明くれば 3月11日谷底の里、田野の夜がすっかり明けやらぬ払暁、忽然山麓より一隊の人馬が土煙を山霧にかくして押しよせて来た。 織田信長の先鋒滝川一益、河尻鎮吉らの軍勢約4千である。勝頼公は己の命運のつきたことを知ると、16才の嫡子信勝を招き 新羅三郎以来武田家に相伝された小桜韋威鎧楯無の鎧を着せてカン甲の式を挙げた。(現在景徳院内に有り)
秋山紀伊守光継、阿部加賀守、小宮山内膳友信、土屋昌恒等100人に満たさる小勢を以て駒場口より攻め寄せる織田軍と戦い 撃退する事数度以て勝頼公をして従容死を決するを得せしむ。生害石、甲将殿直前に3枚の扁平なる石有り、勝頼公、夫人、北條 氏世子信勝公の生害せし処、現在景徳院内に有り。
山雲月を掩ふて夜色自ら惨たり」と史書はこの時の様子を伝える。武田家滅亡最後の激戦地なり。

『鳥居畑古戦場』説明より抜粋

■鳥居畑古戦場跡
鳥居畑古戦場跡

外観


住所 山梨県甲州市大和町田野
時間-
休日-
拝観料-
駐車場 無(付近に市営景徳院駐車場)
2016年3月現在


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