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山梨県 > 土屋右衛門尉昌続屋敷跡 (つちやうえもんのじょうまさつぐやしきあと)
信玄が育てた文武両道の武将
土屋右衛門尉昌続。天文14年~天正3年5月21日。
土屋右衛門尉昌続屋敷跡 |
武田氏の譜代家老で、もとは金丸(かなまる)平八郎と称した。西郡の豪族金丸虎義(とらよし)の次男で、
信玄の奥近習6人に選抜される。永禄4年(1561)9月の川中島の戦いでは、本陣の信玄を警固して動じなかった
ことから、名族土屋氏の名跡を与えられたという。永禄10年(1567)のころより、信玄の側近として、また奉行
として頭角を現し、特に今川攻めで活躍している。また武田氏と、里見・太田氏など関東の大名との外交交渉も担った。
元亀元年(1570)に右衛門尉に任命され、百騎を預かる侍大将に取り立てられた。天正3年(1575)の
長篠の合戦で戦死した。その跡は、実弟惣三(惣蔵)昌恒が継いでいる。
『土屋右衛門尉昌続屋敷跡』説明より
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■土屋右衛門尉昌続屋敷跡
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屋敷跡 |
土屋昌続 |
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住所 | 山梨県甲府市古府中町 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2016年3月現在 |
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