名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年11月21日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
山梨県 > 土屋右衛門尉昌続屋敷跡 (つちやうえもんのじょうまさつぐやしきあと)

城と館
御城印

信玄が育てた文武両道の武将

土屋右衛門尉昌続。天文14年~天正3年5月21日。

土屋右衛門尉昌続屋敷跡

 武田氏の譜代家老で、もとは金丸(かなまる)平八郎と称した。西郡の豪族金丸虎義(とらよし)の次男で、 信玄の奥近習6人に選抜される。永禄4年(1561)9月の川中島の戦いでは、本陣の信玄を警固して動じなかった ことから、名族土屋氏の名跡を与えられたという。永禄10年(1567)のころより、信玄の側近として、また奉行 として頭角を現し、特に今川攻めで活躍している。また武田氏と、里見・太田氏など関東の大名との外交交渉も担った。 元亀元年(1570)に右衛門尉に任命され、百騎を預かる侍大将に取り立てられた。天正3年(1575)の 長篠の合戦で戦死した。その跡は、実弟惣三(惣蔵)昌恒が継いでいる。

『土屋右衛門尉昌続屋敷跡』説明より

■土屋右衛門尉昌続屋敷跡
屋敷跡

土屋昌続


住所 山梨県甲府市古府中町
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.