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山梨県 > 山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡 (やまがたさぶろうひょうえのじょうまさかげ)
武田軍の赤備えを組織した猛将
山県三郎右兵衛尉昌景。?~天正3年5月21日。
山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡 |
昌景は、武田家の譜代家老飯富氏の出身で、虎昌の弟。弘治2年(1556)ごろには、武田信玄の側近および奉行として
活躍している。永禄8年(1565)に、兄虎昌が義信事件に連座して処刑されると、信玄の命により、名門山県氏の名跡を継ぎ、
兄虎昌の配下をはじめとする百騎を預かり、譜代家老に連なった。信玄の主要な作戦には、必ず参加を命じられ、川中島の戦いや
関東侵攻、駿河侵攻などで、戦功があり、山県隊は装備を赤で統一していたことから、山県の赤備えと呼ばれたという。元亀2年
(1571)に、駿河江尻城主(静岡市)に就任し、駿河・遠江の領主を指揮下に置き、織田・徳川氏を監視する役割を担った。
長篠の戦いでは、徳川軍と激戦を展開し戦死した。
『山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡』説明より
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■山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡
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屋敷跡 |
山県昌景 |
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住所 | 山梨県甲府市大手2丁目4 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2016年3月現在 |
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