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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2026年10月10日

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山梨県 > 横田備中守高松屋敷跡 (よこたびっちゅうのかみたかとしやしきあと)

城と館
御城印

信虎・信玄を支えた足軽大将

横田備中守高松。長享元年~天文19年10月1日。

横田備中守高松屋敷跡

 伊勢国出身と伝わる。騎馬三十騎、足軽百人を率いる足軽大将として、武田信虎・信玄二代の重要な作戦のうち、 三十四度に参加し、そのため全身に三十一ヵ所の疵痕があったと伝わる。天文15年(1546)8月、信玄が信濃 志賀城(佐久市)の笠原清繁(かさはらきよしげ)を攻めた際に、関東管領上杉憲政の援軍を、高松は、板垣信方らと ともに、小田井原の合戦でこれを撃破している。天文19年(1550)8月、信玄が村上義清の属城戸石城(上田市) を攻めた際に、攻撃前の敵状視察に赴いている。だが、この攻城戦に失敗し、信玄は全軍に退却を指示した。 高松は、殿軍をつとめ、村上軍の追撃を受けて戦死した。家督は養子康景(原虎胤の実子)が継いだ。

『横田備中守高松屋敷跡』説明より

■横田備中守高松屋敷跡
屋敷跡

横田高松


住所 山梨県甲府市古府中町
時間-
休日-
拝観料-
駐車場-
2016年3月現在


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