名右衛門
− 郷土を旅する歴史団  − 2018年10月19日

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神奈川県 > 小机城址

城と館
東海道

小田原北条氏の小机衆の拠点

笠原家

小机城址

 築城の年代は明らかではありませんが、おそらく、このあたりがひらけた十二世紀以降ではないかと思われます。 その頃は、このあたりは上杉氏の勢力下にあり、西方には、その支配下の榎下城があったことから、それとかかわりがある城と思われます。
 その後、山内上杉家の家臣長尾景春が、家督争いに端を発して反乱を起した時、景春に味方した矢野兵庫助らが城にたてこもり、北方の亀之甲山(現在の新羽町亀ノ子橋付近)に帯陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦いました。
 城は、文明十年(1489)攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条の領地となり、四十年間廃城となっていました。
 大永四年(1524)一族の北条氏堯の城となり、笠原越前守信為を城代として再興しました。 小机は地理的に、江戸、玉縄、榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は以後軍事、経済の両面で極めて重要な役割を果すことになります。
 豊臣秀吉が小田原城を攻め落し、やがて小田原北条氏が亡び、四代目城主弥次平衛重政が徳川軍の家臣として二〇〇名の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住む事になり、小机城は廃城、その歴史を閉じることになりました。

『小机城址についての碑より』

■小机城址
本丸

空掘1

空掘2

矢倉跡

井楼跡

櫓台

二の丸

根子屋広場

公園案内図

雲松院

説明


 関東管領山内上杉家の土豪矢野兵庫助の居城といわれている小机城は、文明10年(1478)に扇谷上杉家の家宰太田道灌に破られてから廃城となっていましたが、大永年(1524)頃、小田原北条氏の勢力圏に入り、南武蔵の軍事上や、経済上の重要地点として修築され、重臣笠原越前守信為を城代としました。
 信為は、父能登守信隆の追善のために、臥龍山雲松院を建立しました。

『雲松院説明より抜粋』



住所神奈川県横浜市港北区小机町 (小机城址市民の森)
時間
休日
拝観料
駐車場
2014年9月現在


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