名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年3月29日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 原宿一里塚 (はらじゅくいちりづか)

城と館
東海道
御城印

東海道53次、日本橋から11番目の一里塚

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。

原宿一里塚

 一里塚は、慶長9年(1604)2月、江戸幕府が大久保石見守長安を総奉行に任命し、東海道の整備にあたらせたとき 構築したもので、一里(4キロ)ごとに街道の両側に円形の塚を築き、距離をしめした。また、つかの上には榎を植えて 木陰をつくり、旅人の休憩にも便宜をあたえた。
 原宿の一里塚は、起点の江戸日本橋から測って11里目にあたっている。塚の付近に茶店などがあったので、 原宿と呼ばれるようになったという。
 戸塚区内には、品濃・吉田・原宿の3ヵ所にあったが、品濃町のものは道を隔て2基、ほぼ原形のまま当時のすがたを 残しているので、神奈川県の史跡に指定されている。当地原宿にあったものは、明治9年(1876年)10月里程標の境 をたてるとき一里塚は事実上不要となったので取り払われてしまい、現存していないが、一里山の名を残してその位置を しめしているのが現在地である。

『原宿一里塚跡』説明より

■原宿一里塚
一里塚付近

説明



住所 神奈川県横浜市戸塚区原宿2丁目30
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年2月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.