名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年7月30日

名右衛門
更新情報
歴史志伝
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
歴史志伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 引橋(ひきはし)

城と館
東海道
御城印

新井城の橋跡

戦国時代に北条早雲により落城した、新井城の橋

引橋

 横須賀市の衣笠城を中心にして栄えた三浦一族は、三浦義澄の孫泰村が時の執権北条時頼と仲たがいとなり、 いわゆる宝治合戦がおこり、一族は滅びましたが、義澄の弟佐原十郎義連の系統が残り、その孫、盛時から八代 目の時高が永享10年(1438年)新井城を油壷に構築し、本拠を三浦に移しました。  この時高は世継ぎの問題から養子の義同と争い、明応3年(1494年)新井城で自殺するに至ったとの説が あり、三浦の城主となった義同は当時小田原を根拠とした北条早雲の勢力と対決、平塚市伊勢原市の両市にまた がる岡崎城、逗子市小坪の住吉城と各支城で敗退、最期のたのみを新井城に託して守りを固めました。ここ引橋 はそのときの大手、つまり外敵防御の第一線であったといわれ、谷間に橋を掛け渡し、敵が攻め寄せたとき、そ の橋を引いて防いだところから引橋の地名がおきたと伝えられています。

『引橋』説明より

■引橋
引橋

 

 

 

 




住所神奈川県三浦市南下浦町金田
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年1月現在


Copyright (C) 2008-2021 naemon All Rights Reserved.