名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月4日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 平塚宿 江戸方見附跡 (ひらつかしゅく えどかたみつけあと)

城と館
東海道
御城印

東海道 平塚宿の入口

江戸時代に、宿で町並を形成し、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。 貴賓の送迎はこれから行はれ、大名行列もこれより隊伍を整えたものである。

平塚宿 江戸方見附跡

 平塚宿と加宿平塚新宿との間には、かつて松並木があり、その松並木の西端に平塚宿江戸見附がありました。
 本来、見附は城下に入る門を示す「城門」のことをいい、城下に入る人々を監視する見張り場の役目を持ちました。 したがって、宿見附も宿の出入り口を意味すると同時に、宿を守る防御施設として設置されたことがうかがえます。 また、見附は必ずしも宿境(宿境は傍示杭で示す)を意味するものではなく、見附から正式に宿内であることを示す 施設でした。さらに、宿と宿の間の距離は、この見附を基準としました。
 平塚宿の見附は2箇所。一般に江戸側の出入り口にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼びました。 この2箇所の見附の間が平塚宿内で、町並みは東西に14町6間(約1.5キロメートル)、東から十八軒町・二十四軒町・ 東仲町・西仲町・柳町の5町で構成され、その中に本陣、脇本陣、東・西の問屋場2箇所、高札場、旅籠などがあり、 江戸時代を通して200軒を超える町並みが続きました。
 一般的に見附は、東海道に対して直角に位置するように設置され、土台部は石垣で固め、土盛りされた頂上部は竹矢来が 組まれていました。
 平塚宿江戸見附は、長さ約3.6メートル、幅約1.6メートルの石垣を台形状に積み頂部を土盛りし、東海道に対して 直角に対をなし、両側の見附は東西に少しずれた形で設置されていました。

『平塚宿の江戸方見附』説明より

■平塚宿 江戸方見附跡
江戸方見附跡

明治14年頃

平塚宿周辺図


住所 神奈川県平塚市見附町1
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年2月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.