名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年11月21日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 平塚一里塚(ひらつかいちりづか)

城と館
東海道
御城印

東海道53次、日本橋から15番目の一里塚

旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。

平塚一里塚

 慶長9年(1604年)、徳川幕府は東海道など5街道を整備し、江戸日本橋からの距離が分かるように 一里塚を整備しました。一里塚は街道に一里(約4キロメートル)ごとに造られ、築造時の資料によれば、 5問(約9メートル)4方の塚でした。塚の上には、目印として主に榎が植えられました。旅人にとって一里塚は、 旅の進み具合を知らせる目印であるとともに、木陰は休憩場所にもなりました。
 馬入の一里塚は、この付近にありました。江戸日本橋から数えて15番目の一里塚で、旧東海道をはさんで 南北に一つづつの塚がありました。文化3年(1803年)に出版された「東海道分間延絵図」には、 北側の一里塚の前に井戸が、馬入の渡しに向かう東側に川会所や川高札が描かれています。

『東海道 馬入の一里塚』説明より

■平塚一里塚
平塚一里塚

説明




住所神奈川県平塚市馬入本町5
時間
休日
拝観料
駐車場
2015年04月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.