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神奈川県 > 保土ヶ谷宿 江戸方見附跡 (ほどがやしゅく えどかたみつけあと)
東海道 保土ヶ谷宿の入口
江戸時代に、宿で町並を形成し、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。
貴賓の送迎はこれから行はれ、大名行列もこれより隊伍を整えたものである。
保土ヶ谷宿 江戸方見附跡 |
「東海道分間延絵図」によれば、芝生の追分から国道16号を越え天王町にいたる途中に保土ケ谷宿の江戸方見附がありました。
保土ケ谷区郷土史では、天王町391・393番地先(現在の天王町1丁目11-3付近)にあったとされています。
江戸方見附は、各宿場の江戸側の出入口に設置されているもので、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしています(この
ため「土居」とも呼ばれています)。こうした構造から、見附は本来簡易な防御施設として設置されたことがうかがえますが、同時に
また宿場の範囲を視覚的に示す効果を合わせ持っていたと考えられます。
ここ江戸方見附から京都(上方)側の出入口に設置された上方見附までは、家屋敷が街道に沿って建ち並び「宿内」と呼ばれ、保土ケ谷宿
では外川神社付近の上方見附まで19町(約キロメートル)になります。大名行列が来ると、宿役人が見附で出迎え、威儀を正して進みました。
『江戸方見附跡』説明より
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■保土ヶ谷宿 江戸方見附跡
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江戸方見附跡 |
絵図 |
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住所 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区天王町1丁目2 |
時間 | - |
休日 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | - |
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2016年2月現在 |
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