名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月7日

名右衛門
更新情報
御城印
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
志士伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 保土ヶ谷宿本陣跡 (ほどがやしゅく ほんじんあと)

城と館
東海道
御城印

東海道 保土ヶ谷宿本陣跡(1601~1870)

江戸時代に幕府が諸大名に参勤交代をさせるため東海道53次の宿場毎に本陣を置いたもの横浜 開港東京遷都の頃までありました。

『保土ヶ谷宿本陣跡』説明より

保土ヶ谷宿本陣跡

 慶長6年(1601年)正月、東海道の伝馬制度を定めた徳川家康より「伝馬朱印状」が 「ほとかや」(保土ヶ谷町)あてに出されたことにより、保土ヶ谷宿が成立しました。
 東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊しました。 保土ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣苅部豊前守康則(かるべぶぜんのかみやすのり)の 子孫といわれる苅部家が代々つとめています。同家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿 における最も有力な家で、安政6年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫(せいべええっぽ) が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしました。明治3年(1870年)に軽部姓に改称し、現在に至っています。
 本陣が混雑した際、幕府の役人や参勤交代の大名は脇本陣に宿泊しました。保土ヶ谷には藤屋・水屋・大金子屋の3軒の 脇本陣がありました。

『本陣跡』説明より

■保土ヶ谷宿本陣跡
本陣跡

保土ヶ谷宿本陣跡之碑

交差点信号

絵図

復元想像図


住所 神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年2月現在


Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.