- 日本郷土の歴史を学ぶサイト -
2024年12月4日
更新情報
・
御城印
目次
・
郷土の歴史を学ぶ
北海道
北海道
東北
青森県
秋田県
岩手県
山形県
宮城県
福島県
関東
栃木県
群馬県
茨城県
千葉県
埼玉県
東京都
神奈川県
山梨県
信越
新潟県
長野県
北陸
富山県
石川県
福井県
東海
静岡県
愛知県
岐阜県
近畿
和歌山県
三重県
滋賀県
京都府
大阪府
奈良県
兵庫県
中国
鳥取県
岡山県
島根県
広島県
山口県
四国
香川県
徳島県
愛媛県
高知県
九州
福岡県
大分県
佐賀県
長崎県
熊本県
宮崎県
鹿児島県
沖縄
沖縄県
・
家系図調査
(ID/PASS)
リンク集
・
志士伝
・
北条早雲情報
・
名右衛門とは
・管理人の紹介
勉強中の管理人に
メール
を送信する
神奈川県
>
保土ヶ谷宿本陣跡
(ほどがやしゅく ほんじんあと)
城と館
東海道
御城印
東海道 保土ヶ谷宿本陣跡(1601~1870)
江戸時代に幕府が諸大名に参勤交代をさせるため東海道53次の宿場毎に本陣を置いたもの横浜 開港東京遷都の頃までありました。
『保土ヶ谷宿本陣跡』説明より
保土ヶ谷宿本陣跡
慶長6年(1601年)正月、東海道の伝馬制度を定めた徳川家康より「伝馬朱印状」が 「ほとかや」(保土ヶ谷町)あてに出されたことにより、保土ヶ谷宿が成立しました。
東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名は、宿場に設置された本陣に宿泊しました。 保土ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣苅部豊前守康則(かるべぶぜんのかみやすのり)の 子孫といわれる苅部家が代々つとめています。同家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿 における最も有力な家で、安政6年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫(せいべええっぽ) が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしました。明治3年(1870年)に軽部姓に改称し、現在に至っています。
本陣が混雑した際、幕府の役人や参勤交代の大名は脇本陣に宿泊しました。保土ヶ谷には藤屋・水屋・大金子屋の3軒の 脇本陣がありました。
『本陣跡』説明より
■保土ヶ谷宿本陣跡
本陣跡
保土ヶ谷宿本陣跡之碑
交差点信号
絵図
復元想像図
住所
神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
-
2016年2月現在
Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.