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2024年12月5日
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保土ヶ谷一里塚
(ほどがやいちりづか)
城と館
東海道
御城印
東海道53次、日本橋から8番目の一里塚
旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。
保土ヶ谷一里塚
街道の距離の目安として、一里ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛した小山を作り、 その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から8番目のものです。
『保土ヶ谷一里塚』説明より
松並木と同時期、街道の距離の目安として、日本橋を起点に一里(約4km)ごとに築かれたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に 土を盛って小山をつくり、その上には、遠くからでも目立つような榎や松などの木々が植えられていました。
保土ヶ谷宿の一里塚は日本橋から八番目に位置し、ここより300mほど江戸寄りの地点(現在の車道上)にありましたが、古く から南側の一気の存在しか伝わっていません。その一里塚も明治時代の始め、宿場制度の廃止に伴って姿を失いました。
『東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚』説明より抜粋
■保土ヶ谷一里塚
保土ヶ谷一里塚
上方見附跡
説明
松並木
松並木
絵図
住所
神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町2丁目
時間
-
休日
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拝観料
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駐車場
-
2016年2月現在
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