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2024年11月21日
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国府本郷一里塚
(こくふほんごういちりづか)
城と館
東海道
御城印
東海道53次、日本橋から17番目の一里塚
旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。
国府本郷一里塚
慶長9年(1604)、徳川家康は秀忠に一里塚の築造を命じました。一里塚は日本橋を基点として、 各街道に一里(約3.9キロメートル)ごとに設けられた塚です。
土の塚を築いて里程の目印とし、塚の上には大木が植えられ、その木陰は旅人の休憩所となりました。
大磯宿付近には日本橋から16里目の一里塚が大磯宿地内に、17番目の一里塚が国府本郷村地内にありました。 国府本郷の一里塚は実際にはここより約200メートルほど江戸よりに位置していました。塚の規模は不明ですが、 東海道をはさんで左右一対の塚の上には、それぞれ榎が植えられていたようです。
『国府本郷一里塚』説明より抜粋
■国府本郷一里塚
一里塚付近
絵図
本来は200m東にあった
住所
神奈川県中郡大磯町国府本郷
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
無
2016年3月現在
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