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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年4月11日

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神奈川県 > 三増合戦場

城と館
東海道
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戦国時代の小田原北条氏と武田氏との激戦の地

武田信玄の勝利

三増合戦場

 永禄十二(1569)年、十月、甲斐(今の山梨県)の武田信玄は、二万の将兵をしたがえて、小田原城の北条氏康らを攻め、その帰り道に三増峠を選んだ。
 これを察した氏康は、息子の氏照、氏邦、娘の夫の綱成らを初めとする二万の将兵で三増峠で迎え討つ事にした。ところが、武田軍の近づくのをみた北条軍は、半原の台地上に移り態勢をととのえようとした。
 信玄は、その間に三増峠のふもとの桶尻の高地に自分から進み出て、その左右に有力な将兵を手配りし、家来の小幡信定を津久井の長竹へ行かせて、津久井城にいる北条の動きを押さえ、また、山県昌景の一隊を韮尾根に置いて、いつでも参戦できるようにした。北条方は、それに方々から攻めかけたのでたちまち激戦となった。そのとき、山県の一隊は志田峠を越え、北条軍の後ろから挟み討ちをかけたので、北条軍は総崩れとなって負けてしまった。この合戦中、武田方の大将浅利信種は、北条軍の鉄砲にうたれて戦死した。
 北条氏康、氏政の親子は、助けの兵を連れて荻野まで駆けつけてきたが、すでに味方が負けてしまった事を知り、空しく帰っていった。
 信玄は、勝ち戦となるや、すぐ兵をまとめ、反畑(今の相模湖町)まで引き揚げ、勝利を祝うとともに、敵味方の戦死者の霊をなぐさめる式をとりおこない、甲府へ引きあげたという。

『三増合戦場の板碑より抜粋』

■三増合戦場
三増合戦場

三増合戦図




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