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2024年10月9日
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生麦事件碑(仮移設場所)
(なまむぎじけんひ)
城と館
東海道
御城印
文久2年(1862年)、幕末の事件
薩英戦争の発端となる幕末の事件
生麦事件碑(仮移設場所)
文久2年8月21日(西暦1862年9月14日)、勅使大原重徳を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩島津久光 の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人4名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人1名を殺害、 2人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩英戦争を引き起こしました。
明治16年(1883)、鶴見の黒川荘三は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し 遭難碑を建てました。
文久二年壬戌八月二十一日英国人 力査遜(リチャードソン)此処に殞名す
乃ち鶴見の人黒川荘三所有の地なり 荘三余に其事を誌さんことを乞う
因て之が為に歌う、歌ひて曰く 君此の海ゼンに流血す
我邦の変進も亦其れを源とす 強藩起って王室振るう
耳目新たに民権を唄う 擾々たる生死ダ疇か聞いて知る
万国に史有り君が名を云う 我れ今歌を作って貞ビンに勒む 君其れ九原に含笑せよ
明治十六年十二月 敬宇中村正直撰
『生麦事件碑(仮移設場所)』説明より略訳
■生麦事件碑(仮移設場所)
生麦事件碑(仮移設場所)
碑
説明
仮移設場所 案内図
生麦事件参考館 案内図
住所
神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目14
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
無
2016年1月現在
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