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2024年11月21日
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新島襄終焉の地
(にいじまじょうしゅうえんのち)
城と館
東海道
御城印
同志社大学創設者
明治の三大教育者の一人、新島襄終焉の地。
新島襄終焉の地
明治の先覚的教育者新島襄は、1843年2月12日(天保14年1月14日)江戸神田の安中藩邸内で、藩士 新島民治の長男として生まれた。
その当時は、近代日本の黎明期に当り、新島襄は憂国の至情抑えがたく、 欧米先進国の新知識を求めて1864年(元治元年)函館から脱国して米国に渡り、苦学10年キリスト教主義教育 による人民教化の大事業に献身する決意を抱いて1874年(明治7年)帰国、多くの困難を克服して、1875年 (明治8年)11月29日京都に同志社英学校を設立した。
その後宿願であった同志社大学設立を企図して東奔西走中病にかかり、1890年(明治23年)1月23日 療養先のここ大磯の地、百足屋旅館で志半ばにして47歳の生涯を閉じた。
『新島襄終焉の地』説明より
■新島襄終焉の地
新島襄終焉の地
東海道沿い
百足屋 絵図
住所
神奈川県中郡大磯町大磯
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2016年3月現在
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