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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年11月21日

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神奈川県 > 小田原宿 江戸口見附 (おだわらしゅく えどぐちみつけあと)

城と館
東海道
御城印

東海道 小田原宿の入口

江戸時代に、宿で町並を形成し、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。 貴賓の送迎はこれから行はれ、大名行列もこれより隊伍を整えたものである。

小田原宿 江戸口見附

 小田原北条氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに対し、総構といわれる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、 城のみならず城下町までを取り込んだ戦国期最大級の城郭を築きました。
 この付近は、その総構の最も南部分に当たり、小田原合戦のときには徳川家康隊が山王川の対岸に陣取っていました。
 江戸時代には、小田原城下に入る東海道の東の出入口として、西の板橋口及び甲州道の井細田口とあわせて、城下を警護する 重要な門としての役割を担っていました。
 江戸方面から来た場合、上図(文久図)のように門の土塁を一旦右に曲がり さらに左に折れてから城下に入る形になっています。また、入るとすぐ右手(北側)には番所があり、通行人の監視などに 当っていました。
 なお、ここは江戸日本橋から20里(80km)に位置し、それを示す一里塚が海寄りに設けられていました。

『小田原宿 江戸口見附』説明より

■小田原宿 江戸口見附
江戸口見附跡

江戸口見附跡


文久図(1861-64)

大正時代初期


住所 神奈川県小田原市浜町2丁目
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年3月現在


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