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2024年10月4日
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龍像寺
(りゅうぞうじ)
城と館
東海道
御城印
護良親王を殺害した足利家臣淵辺氏の伝説と、小田原北条家臣の板部岡江雪斎の墓
境川沿いにあった龍池に住み人々を困らせていた大蛇を地頭の淵辺義博が矢を放って退治し、頭・胴・尾の3つに分けて それぞれ葬りました。頭部は龍頭寺、胴は龍像寺、尾部は龍尾寺として3つの寺を建立しましたが、後に2寺は廃寺となり、 龍像寺が弘治2年(1556年)に再興され、今日に至っています。
『淵辺義博の伝承』説明より
龍像寺
この寺は山号を「淵源山(えんげんざん)といい、厚木市七沢にある曹洞衆広沢寺の末寺です。
縁起によると暦応年間(1338~1341年)、境川に住んでいたという大蛇をこの地の 淵辺義博(ふちべよしひろ)が退治し、3体に分散した蛇体をおのおのの地に葬ってそれぞれ龍頭寺・ 龍像寺・龍尾寺としたと伝えられています。
その後、3寺とも荒廃してしまいましたが、弘治2年(1556年)に巨海(こかい)和尚によってこの龍像寺だけ 再興されました。寺宝として、この龍骨の一部と義博使用の矢じりと板碑が所蔵されています。 また、墓地内には江戸時代にこの地の地頭であった岡野一族の墓があります。
『龍像寺』説明より
■龍像寺
龍像寺
龍像寺説明
寺向いの説明
■板部岡江雪斎一族の墓
岡野氏一族の墓地
江戸時代の淵野辺村領主、旗本岡野氏一族の墓地です。
初代の板部岡融成(号 江雪)は、はじめ小田原北条氏に仕えましたが北条氏滅亡後は岡野と姓を改め、 豊臣・徳川両氏に仕えました。
その後、次男房次の子 英明が淵野辺村の地頭となり、寛文3(1663)年、淵野辺村は 本家 貞明・分家 友明に分知され、幕末まで続きました。
『龍像寺の岡野氏墓地』説明より
旗本岡野家累代の墓誌
墓誌裏、右3番目に板部岡江雪斎の名がある
『龍像寺の岡野氏墓地』説明
岡野氏先祖代々の墓
住所
神奈川県相模原市中央区東淵野辺3-25-1
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
有
2016年4月現在
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