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2024年10月4日
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品濃一里塚
(しなのいちりづか)
城と館
東海道
御城印
東海道53次、日本橋から9番目の一里塚
旧東海道の一里塚は江戸日本橋から京都三条大橋まで125里で、慶長9年街道の付属施設として1里ごとに造られた。
品濃一里塚
慶長9年(1604)徳川幕府は、五街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。
それと同時に、当時あいまいであった駄賃銭を決めるために、江戸日本橋を起点とした距離が判るように、 明確な里程標が必要となりました。そのため街道の両側には、一里(約4キロメートル)ごとに5間(約9メートル)4方の塚が 造られ、塚の上にはエノキやマツが植られました。これが一里塚です。
一里塚は、旅人にとって旅の進みぐあいがわかる目印であると同時に、塚の上に植えられた木は、夏には木陰をつくり、 冬には寒風を防いでくれるため、旅人の格好の休憩場所にもなりました。そのため、一里塚やその付近には茶店ができ、立場が 設けられるようになりました。
ここ品濃の一里塚は、日本橋から9番目の一里塚で、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に 位置しています。旧東海道をはさんでほぼ東西に2つの塚があり、地元では一里山と呼ばれていました。東の塚は平戸村内に 西の塚は品濃村内に位置し、西の塚にはエノキが植えられていたようです。
このように、今でも道の両側の塚がともにほぼ当時の形で残っている所は、神奈川県内でもこの一里塚だけであり、 昭和41年には県の史跡に指定されました。
『品濃一里塚』説明より
■品濃一里塚
品濃一里塚
西の一里塚
旧東海道(左が西の一里塚)
東の一里塚
説明
絵図
住所
神奈川県横浜市戸塚区平戸4丁目16
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2016年2月現在
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