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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年4月20日

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神奈川県 > 寺尾城

城と館
東海道
御城印

室町時代の城

 寺尾城は領主 諏訪三河守五代(約140年間)にわたり、この地にあった。
後北条氏に属し、貫高は2百貫文(およそ2千石)で、北条早雲が小田原城主になる以前からすでに居城していた。
永禄12年(1569)、武田信玄が小田原城を攻めた際に、廃城になったと思われる。
数百年を経た今日、その遺構(空堀・土塁跡)の一部が殿山公園などに現存している。  

『寺尾城址』説明より

         
2020/07/05
寺尾城

 殿山公園から西方にかけての丘陵一帯は、寺尾城址として古くから知られていました。平成5年12月に、殿山公園の整備事業に伴う 発掘調査が財団法人 横浜ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センターによって実施されました。
 調査は、東西に延びる 空堀 の一部を含めた丘陵頂部の170mの範囲を対象として行われました。 発掘調査の結果、空堀は、断面が底の狭いV字形を示し、壁の角度(勾配)が50㎡~70㎡と急傾斜で、地表面から堀の底までの深さが約3m、底の幅は約1mでした。堀のなかには土塁の崩落によると 推測されるローム土が多量に堆積し、上位からは江戸時代の宝永年間に噴火した富士山の火山灰が発見されました。このことから、この堀は18世紀初頭には大部分が埋まっていたことが明らかとなりました。
 この発掘調査によって、『新編武蔵風土記稿』に記され、「寺尾城址」として伝承されている中世城郭址の存在を初めて考古学的に裏付けることができました。  

『寺尾城址の発掘』説明より

■寺尾城
寺尾城碑

殿山公園上部

殿山公園

馬場稲荷
 

住所〒230-0076 神奈川県横浜市鶴見区馬場3丁目
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休日
拝観料
駐車場
2020年7月現在


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