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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年11月21日

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神奈川県 > 徳田屋跡

城と館
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江戸時代の旅館

幕末の英傑たちが宿泊した宿

徳田屋跡
 徳田屋は江戸時代から明治・大正期まで続いた浦賀を代表する旅館です
 創業は明らかではありませんが、寛政の改革を行った松平定信が相模・伊豆の沿岸を視察した折に宿泊したという記憶からすると、1700年代の終わり頃 には存在したことがわかります。
 しかし、正式に旅宿(御用御宿)となったのは文化8年(1811)3月のことであり、これが浦賀の旅館の始まりです。
 ペリーが来航した嘉永6年(1853)6月には黒船を見聞するために吉田松陰が二度目の宿泊をして、ここで佐久間象山と会っています。松陰も象山もこれより 二年前の嘉永4年(1851)に、松陰は熊本藩士・宮部鼎蔵とともに江戸湾沿岸の防備状況視察のために、象山は門弟の小林寅三郎をともなって思索の旅で 徳田屋を訪れています。
 この他、浮世絵師の安藤広重が安政5年(1858)に、これより先の安政2年(1855)には木戸孝允(桂小五郎)が浦賀奉行所・ 中島三郎助に造船技術の教授を得るために来訪した折に泊まっています。
 幕末から明治維新の激動のなかで浦賀を訪れた数多くの武士や文化人が徳田屋を宿泊し、ここから日本を見、世界を見て時の移り変わりを認識して、近代日本が誕生した わけですから、その意味からも徳田屋の果たした役割の大きさは大変なものがあります。
 その徳田屋も対象2年(1923)の関東大震災の際 倒壊して姿を消してしまいました。

『徳田屋跡』説明より

■徳田屋跡
徳田屋跡


2017年6月撮影



住所神奈川県横須賀市東浦賀2丁目7−6
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2013年8月現在


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