名右衛門
- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2021年4月15日

名右衛門
更新情報
歴史志伝
目次
郷土の歴史を学ぶ
北海道
 北海道
東北
 青森県
 秋田県
 岩手県
 山形県
 宮城県
 福島県
関東
 栃木県
 群馬県
 茨城県
 千葉県
 埼玉県
 東京都
 神奈川県
 山梨県
信越
 新潟県
 長野県
北陸
 富山県
 石川県
 福井県
東海
 静岡県
 愛知県
 岐阜県
近畿
 和歌山県
 三重県
 滋賀県
 京都府
 大阪府
 奈良県
 兵庫県
中国
 鳥取県
 岡山県
 島根県
 広島県
 山口県
四国
 香川県
 徳島県
 愛媛県
 高知県
九州
 福岡県
 大分県
 佐賀県
 長崎県
 熊本県
 宮崎県
 鹿児島県
沖縄
 沖縄県
家系図調査 (ID/PASS)
リンク集
歴史志伝
北条早雲情報
管理人 名右衛門とは
・管理人の紹介
メール 勉強中の管理人に
メールを送信する
神奈川県 > 徳田屋跡

城と館
東海道
御城印

江戸時代の旅館

幕末の英傑たちが宿泊した宿

徳田屋跡
 徳田屋は江戸時代から明治・大正期まで続いた浦賀を代表する旅館です
 創業は明らかではありませんが、寛政の改革を行った松平定信が相模・伊豆の沿岸を視察した折に宿泊したという記憶からすると、1700年代の終わり頃 には存在したことがわかります。
 しかし、正式に旅宿(御用御宿)となったのは文化8年(1811)3月のことであり、これが浦賀の旅館の始まりです。
 ペリーが来航した嘉永6年(1853)6月には黒船を見聞するために吉田松陰が二度目の宿泊をして、ここで佐久間象山と会っています。松陰も象山もこれより 二年前の嘉永4年(1851)に、松陰は熊本藩士・宮部鼎蔵とともに江戸湾沿岸の防備状況視察のために、象山は門弟の小林寅三郎をともなって思索の旅で 徳田屋を訪れています。
 この他、浮世絵師の安藤広重が安政5年(1858)に、これより先の安政2年(1855)には木戸孝允(桂小五郎)が浦賀奉行所・ 中島三郎助に造船技術の教授を得るために来訪した折に泊まっています。
 幕末から明治維新の激動のなかで浦賀を訪れた数多くの武士や文化人が徳田屋を宿泊し、ここから日本を見、世界を見て時の移り変わりを認識して、近代日本が誕生した わけですから、その意味からも徳田屋の果たした役割の大きさは大変なものがあります。
 その徳田屋も対象2年(1923)の関東大震災の際 倒壊して姿を消してしまいました。

『徳田屋跡』説明より

■徳田屋跡
徳田屋跡


2017年6月撮影



住所神奈川県横須賀市東浦賀2丁目7−6
時間
休日
拝観料
駐車場
ホームページ
2013年8月現在


Copyright (C) 2008-2021 naemon All Rights Reserved.