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2024年10月9日
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東勝寺跡(とうしょうじあと)
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鎌倉幕府最後の地
東勝寺跡
東照寺は、13世紀前半に鎌倉幕府第3代執権の北条泰時により、得宗(北条氏嫡流)家の氏寺として創建されました。 様々な宗派を学ぶ諸宗兼学の寺院であるとともに、周辺の地形と一体となった防御のための城郭的な機能も持っていたと考えられています。
元弘3年(1333)、新田義貞らの鎌倉攻めにより、幕府の最高権力者であった北条高時は、東勝寺で一族郎党とともに自害し、鎌倉幕府は滅亡しました。 平成8・9年(1996・7)に行われた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う10数cmの炭の層が発見されました。
焼失後まもなく、東勝寺は禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられましたが、16世紀後半ごろには途絶えたと考えられています。
説明より
■東勝寺跡
東勝寺跡
住所
神奈川県鎌倉市小町3
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
無
2015年11月現在
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