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2024年11月21日
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北条氏政・氏照の墓所
(ほうじょううじまさ・うじてる のぼしょ)
城と館
東海道
御城印
小田原北条四代、北条氏政、弟・北条氏照自刃の地
豊臣秀吉の命により、この地にて自刃する。
北条氏政・氏照の墓所
北条氏政は、北条氏四代の領主。氏照は、氏政の弟で、八王子城などの5つの支城の城主でした。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城が落城すると、五代領主氏直は高野山に追放され、父氏政と弟氏照は、城下の 田村安斎邸(現南町)で自刃しました。
両人の遺体は、当時この地にあった北条氏の氏寺、伝心庵に埋葬されました。(現在、永久寺所有)
その後放置されていた墓所は、稲葉氏が城主の時(1633~1685)北条氏追福のため整備されました。大正12年(1923)の関東大地震では 墓所が埋没する被害を受けましたが、翌年地元の有志により復元されました。
「北条氏政・氏照の墓所」説明より
■北条氏政・氏照の墓所
北条氏政・氏照の墓所
外観
図
【五輪塔】
右 (大) 伝 氏政夫人の墓
中央 (中) 伝 氏政の墓
左 (小) 伝 氏照の墓
【生害石】
五輪塔前の平たい石
この石の上で氏政・氏照が自刃したと伝えられています。
【笠塔婆型墓碑】
左手の墓碑
この墓碑には、次のように法号(戒名)が刻まれています。
「慈雲院殿勝岩傑公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條相模守氏政」
「青霄院殿透岳開公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條陸奥守氏照」
住所
神奈川県小田原市栄町2丁目-7-7
時間
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休日
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拝観料
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駐車場
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2016年4月現在
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