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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年10月4日

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神奈川県 > 北条氏政・氏照の墓所 (ほうじょううじまさ・うじてる のぼしょ)

城と館
東海道
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小田原北条四代、北条氏政、弟・北条氏照自刃の地

豊臣秀吉の命により、この地にて自刃する。

北条氏政・氏照の墓所

 北条氏政は、北条氏四代の領主。氏照は、氏政の弟で、八王子城などの5つの支城の城主でした。
 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城が落城すると、五代領主氏直は高野山に追放され、父氏政と弟氏照は、城下の 田村安斎邸(現南町)で自刃しました。
 両人の遺体は、当時この地にあった北条氏の氏寺、伝心庵に埋葬されました。(現在、永久寺所有)
 その後放置されていた墓所は、稲葉氏が城主の時(1633~1685)北条氏追福のため整備されました。大正12年(1923)の関東大地震では 墓所が埋没する被害を受けましたが、翌年地元の有志により復元されました。

「北条氏政・氏照の墓所」説明より

■北条氏政・氏照の墓所
北条氏政・氏照の墓所

外観


【五輪塔】
 右  (大) 伝 氏政夫人の墓
 中央 (中) 伝 氏政の墓
 左  (小) 伝 氏照の墓

【生害石】
 五輪塔前の平たい石
 この石の上で氏政・氏照が自刃したと伝えられています。

【笠塔婆型墓碑】
 左手の墓碑
 この墓碑には、次のように法号(戒名)が刻まれています。

「慈雲院殿勝岩傑公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條相模守氏政」

「青霄院殿透岳開公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條陸奥守氏照」


住所 神奈川県小田原市栄町2丁目-7-7
時間
休日
拝観料
駐車場
2016年4月現在


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