- 日本郷土の歴史を学ぶサイト -
2024年11月21日
更新情報
・
御城印
目次
・
郷土の歴史を学ぶ
北海道
北海道
東北
青森県
秋田県
岩手県
山形県
宮城県
福島県
関東
栃木県
群馬県
茨城県
千葉県
埼玉県
東京都
神奈川県
山梨県
信越
新潟県
長野県
北陸
富山県
石川県
福井県
東海
静岡県
愛知県
岐阜県
近畿
和歌山県
三重県
滋賀県
京都府
大阪府
奈良県
兵庫県
中国
鳥取県
岡山県
島根県
広島県
山口県
四国
香川県
徳島県
愛媛県
高知県
九州
福岡県
大分県
佐賀県
長崎県
熊本県
宮崎県
鹿児島県
沖縄
沖縄県
・
家系図調査
(ID/PASS)
リンク集
・
志士伝
・
北条早雲情報
・
名右衛門とは
・管理人の紹介
勉強中の管理人に
メール
を送信する
京都府
>
聚楽第 上杉景勝・直江兼続 屋敷跡推定地(かげかつ・かねつぐ やしきあと)
城と館
御城印
聚楽第の武家地
北、上杉景勝 屋敷跡推定地
南、直江兼続 屋敷跡推定地
聚楽第 上杉景勝・直江兼続 屋敷跡推定地
当地は平安京の表記では、左京二条二坊八町にあたる。『拾芥抄』によれば、皇太子の事務を行う 春宮坊の役人の住む町(東宮町)だった。平安後期の承保4年(1077)9月、春宮権亮 源師忠の母が住んでいたことが分かっている(『水左記』)。
応仁の乱の戦禍によって首都京都は一旦壊滅したが、天下統一を進める豊臣秀吉によって近世都市として甦った。その中心は、居城 聚楽城と武家地(大名屋敷地区)である。 当地付近もその範囲に含まれ、北国大名の上杉景勝、およびその重臣 直江兼続の屋敷が営まれたと思われる。
直江兼続は、秀吉からみれば陪臣にあたるが、上杉景勝と同様に豊臣姓を賜るなど優遇された。「上杉年譜」によれば、天正17年(1589)、上洛した 出羽国(現山形県)の大名、大宝寺 千勝丸(のち義勝)が直江兼続屋敷を旅館に使用したとあり、洛中に同屋敷は確実に存在した。
その位置は不明であるが、江戸中期の宝暦12年(1762)刊行の『京町鑑』は、当地の南隣の「直家町」を直江屋敷跡と伝承する。江戸初期に描かれた 「京都図屛風」をみれば、当町はもと「なおい町」だった。兼続屋敷跡の重要参考地といえる。
上杉景勝屋敷は天正16年(1588)に得た一条戻橋西入ルの地が知られるが、「輝元公上洛日記」によると、同じころ、聚楽城の東南方向の毛利輝元屋敷の 右側に宇喜多秀家屋敷があり、左側には上杉屋敷もあった。これは一条戻橋屋敷ではありえない。
現「浮田町」・「森中町」をそれぞれ宇喜多・毛利両屋敷の遺称地と推定できるため、その東隣地で当地北向いの「長尾町」が、上杉屋敷跡(長尾は旧名字)に比定される。 すると先にふれた「直家町」(兼続屋敷推定値)と「長尾町」が近接することに気づかれる。景勝・兼続の深い関係を鑑みれば十分ありえることだろう。
『 聚楽第 上杉景勝・直江兼続 屋敷跡推定地』説明より
■聚楽第 上杉景勝・直江兼続 屋敷跡推定地
屋敷跡推定地
平安京 春宮坊 東宮町跡
聚楽第
住所
京都府京都市上京区講堂前236
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
-
2020年12月現在
Copyright (C) 2008-2024 naemon All Rights Reserved.