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2024年10月4日
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御城印
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河村城
城と館
東海道
御城印
南北朝時代から戦国時代の城
南北朝時代の記録にも残る河村城は、戦国時代には小田原北条氏の出城でした。地理的に、北の甲斐国、西の駿河国から足柄平野へ至る北東端の入口部分に当たり、 戦略上、重要な城であったと考えられます。現在の御殿場線辺りを江戸時代中ごろまで流れていた皆瀬川と、南の酒匂川とに挟まれた標高約225mの独立丘陵上に、自然地形を活かし、郭や堀切を配した、山城です。
『河村城』説明より
2020/07/12
河村城
河村城中世山城の全容を残しています。城は自然地形を利用し、尾根の高い部分を削り、その土で低い部分を埋めて「郭」と呼ぶ平場を造成します。 また、谷や崖面を利用して堀とし、外敵の侵攻をさえぎるため、尾根を人工的に切断して堀とした「堀切」を造り、郭の間を隔てる防御態勢を整えました。河村城の郭や堀切の平面配置を示す「縄張り」は 約300年前の絵図を参考にしています。
『河村城跡案内図』より
■河村城
河村城
河村氏館跡
室生神社
住所
神奈川県足柄上郡山北町山北
時間
-
休日
-
拝観料
-
駐車場
有
2020年7月現在
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