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- 日本郷土の歴史を学ぶサイト - 2024年4月26日

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神奈川県 > 室生神社(むろう じんじゃ)

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鎌倉時代由来の流鏑馬の神社

室生神社の流鏑馬の由来は治承4年源頼朝公が石橋山に旗揚げした折、河村城主義秀公は平家方である大庭景親に味方した罪にとわれ 領地河村を没収され、処刑されるところを景親の兄大庭景能に助けられ隠れていたところ、建久元年鎌倉に於て流鏑馬の行事が行われた時、たまたま欠員が出来たので その代替として参加し、その抜群の妙技によって罪を許され旧領河村に復帰できた事を記念し、年々行われる様になったと伝えられています。
 そして780余年の間、農民の手によって引き継がれて来たものであります。
又、昔から一の的は早稲、二の的は中稲、三の的は晩稲、としてその的に当たる矢によって翌年の稲作の植付の占としてきたのであります。

『流鏑馬神事』説明より

室生神社

 当神社流鏑馬の起源は河村義秀公が、鎌倉で行われた流鏑馬の賞により旧領に復帰できた故事「源頼朝が石橋山挙兵の際 平家方に味方したため、領地を没収された。(新編相模風土記稿)」によるとされている。
 この行事が建久元年、復帰された翌年から挙行されたとすれば八百余年となり、またもっと新しく鞍に記されている寛永12でも350余年の長い歴史がある。
 その後、氏子の手により受け継がれ、一の的(早稲)二の的(中稲)三の的(晩稲)の当たり矢によって翌年の稲作の吉凶を占ったとも伝えれれている。
 昔、馬は4頭であったが、最近は2頭で行われる。
 他は昔ながらの兜をかぶり、陣羽織を着て伝統を守り、現在は11月3日(文化の日)に行われる。
郷土の貴重な文化財として、指定し保護するものである。

『室生神社流鏑馬』説明より

■室生神社
室生神社

『室生神社流鏑馬』説明

 

河村城

河村氏館跡

住所神奈川県足柄上郡山北町山北1200
時間
休日
拝観料
駐車場
2020年7月現在


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